狂恋少女と淡恋少年





「うぅ……林檎ちゃんにまた修行が足りないって言われた……」
「あらら……。まぁ、オオカミ討伐は大変だもの。これからゆっくり鍛えていけばいいわ。……後方支援の私が言うことじゃないけどね」

 SMARM日本支部近くの喫茶店で、今日も私は彼の話を聞く。彼が好いている少女、紅紗林檎ちゃんの好きなお菓子であるアップルパイを食べながらだ。日本支部じゃ、主に支部長夫婦のせいで常時アップルパイの匂いが漂っているくらいだから、アップルパイが苦手、あるいは嫌いになりかける人も多いのだけど、彼は喜んでアップルパイを食べる方であった。

「それに、全く脈なしってわけじゃないんだからいいじゃない。私の初恋の話はしたかしら?私の初恋の相手が小二の時のクラスメイトだったのだけど、コテンパンにふられちゃってしばらく学校行けなかったもの」
「その話はもう聞いたよ」

 あら、そうだったかしら、と私は首を傾げ、そして、あぁ、と思い出す。最初か二回目くらいの時に全く同じ話を、もっと詳しくしていた。今じゃ頻繁に話のネタにしているから、誰に話して誰に話していないかもうかなり曖昧だ。
 それからしばらく彼の話を聞いて相談に乗ってあげた後、もう林檎ちゃん関係の悩みは話し終わったようであとは林檎ちゃんのあんなところが可愛いとか、そんな話を日が暮れて月が夜道を照らすまでずっと聞かされるのであった。



 午後八時、夕食後、自室にて。
 夜食のスコーンにイチゴジャム、カモミールティー。最初はそういうふうに気取っていたつもりだったけど、今ではこれがないと夜が始まらないという感じだった。
 焼きたてのスコーンを、やや行儀悪く手づかみで口へ押し込みつつ、タブレットPCからメインPCにアクセスして今日も独自構築システムのバグをチェックしていく。気が向いた瞬間アップデートを繰り返しているので、いつどこにバグが生まれているかわからないのだ。

「……ねぇ、舞」

 ふと、私はそこの使用人に声を掛ける。

「どうなさいましたか?」
「……あのね。私ね……あの子を見てると、変な気持ちになるの」

 変な気持ちですか、と舞は聞き返す。変な気持ちは変な気持ちだ。自分でもよくわからない。スコーンの滓で汚れた手をおしぼりで拭い、寝心地のいいソファーに寝転がってPCを操作する。

「でも、心配だからっていうわけじゃなくて、心配はしてるんだけど、そうじゃなくてね」
「恋、じゃないですか?」

 恋。
 ただのからかいのつもりだっただろうに、それかもしれない、と、私は思ってしまった。
 そんなのじゃない。でも、そんなのじゃなかったらこの気持ちはなんなの?分からない。
 ……やっぱりそう、なのだろうか。

「……なんというか、申し訳ございません」
「いいわよ、別に……。……どうせいつか気づいてたわ」

 彼の顔を思い起こす。それだけで、頬が火照る。胸の奥で何かが渦巻く。
 ……駄目だ。これ以上考えては、想ってはいけない。
 そう思っても、想うことを止められない。

「……食器、お下げしますね」

 舞の声も気づかず、私はただ呆然とソファの上でタブレットPCを抱えたまま寝転がるのみだった。



 翌日、SMARM日本支部にて。

「みんなー、アップルパイ焼けたから一緒に食べましょう~……、あら?文乃ちゃんがいないわね」
「学校休んでましたし、体調不良とかじゃないですか?」

 日本支部副支部長の女性、紅紗酸桃は、いつものメンツに一人足りないことに気づき、その足りない少女と同じ学校、同じクラスの赤ずきんが答える。

「あら……。大丈夫かしら。後でお見舞いにアップルパイ持っていきましょう。ひとまず、冷める前に食べましょうか」

 いただきまーす、と和やかに皆でティータイムが始まる。今日のお茶はカモミールティー。それぞれアップルパイを食べて、カモミールティーを飲みながら、のんびりとした時間が過ぎていく。

 この時、蓮斗は、直感的に何とも言えない不吉なような、不穏なようななにかを感じていた。
 その何かが何なのか分かるのは、もうすこし先の話。



 彼に合わせる顔がない。
 恋をしたのは一度や二度ではない。だからわかる。自覚した今、彼に会えば、目が合うだけで頬が赤く染まって、本当にわかりやすいくらい想いが顔に出て。
 でも、そんな姿見せちゃ駄目だ。私は彼と林檎ちゃんの恋路を応援しているのだ。林檎ちゃんの矢印が彼に向いていなかったとしても、彼を横から奪うなんてとんでもない。そんなことをしたら、彼のこれまでの努力も、私がそれに付き合ってきたことも、全部水の泡。

(あぁ、神様)

 私は、想う。
 どこで間違えたのかと。初めから首を突っ込まなければ良かったのかもしれない。今更何を想っても遅い。

(どうして、私に、彼に恋焦がれさせたの)

 頭がくらくらする。震える指で、電話の着信音を喚き叫ぶスマートフォンの電源を切る。寒くて、暑い。もうやめてと叫びたかった。好きで好きで仕方ない。どうして。どうして。こんなの誰も幸せにならない。やだ、やめて。そう叫んでも届くはずはない。もし神様が居たとしたら、その神様は人の心を持たないのだろう。胸が痛くて、苦しくて、仕方ない。涙が溢れて止まらない。嗚咽が静かな部屋に響く。吐きそうになっても、もう昨日の夜から何も食べていない。カーテンを閉め切った、薄暗い部屋で、私はただ泣き喘ぐ。

 私が何をしたというの。



 それから数日か、数週間か、数ヶ月か。
 蓮斗は、安道文乃の捜索願が出されたという話を聞いた。
 その頃、文乃は。



(このまま生きていたら壊れてしまいそう)

 恋焦がれた少女は、想う。

(こんな世界にも、こんな世界だからこそ、あるじゃない。誰も怪しまない殺され方が)

 哀れにも横恋慕してしまった少女は、想う。

(オオカミに噛まれてから、彼に殺されればいい)

 恋焦がれた想いにすべてを狂わされた少女は、想う。

(彼に殺されるなら、本望だわ)



 蓮斗はその日、ある森へ入ってオオカミを狩っていた。狩っても狩ってもきりがないのは、この世界の赤ずきんなら誰もが知っている。それでも、減らすことに意義はあると信じながらオオカミを狩るのだ。

「っはぁ……、少し、休憩、しよう、かな」

 朝から数時間、オオカミを狩り続けて流石に喉が渇いたし、疲れた。幸いこのあたりのオオカミは殲滅しきった、はず。荷物から水筒を取り出して水分を補給し、タオルで汗を拭う。空腹も感じて、持ってきたおにぎりにかぶりつく。
 おにぎりを完食した時、がさり、と背後から音が聞こえた。

「っ!?!?」

 即座に武器を手に立ち上がる。がさ、がさ、と、ゆっくりと音は近づいてくる。

「……」

 オオカミが間合いを測っている、という感じではない。きっと人間が発生させている音だ。蓮斗はそちらを伺う。
 そこにいたのは。

「運が、いいわ……、やっと、見つけた」
「え……?」

 元は白かったワンピースは泥にまみれてぼろぼろになっていて、綺麗だったはずの肌も髪もがさがさになっていて。
 ただ私の銀色の瞳が、頬を紅潮させながら蓮斗を見つめていた。

「文乃ちゃん!?」
「ねえ、聞いて」

 私は、怯え後ずさる彼に迫る。

「私ね、オオカミに噛まれたんだよ」

 私の頭からは、つけ耳じゃない、本物のオオカミの耳がちょこんと生えていた。

「ねえ、私を殺してよ」

 押し倒す。彼の手にした武器、ナイフを自分の胸に突きつける。

「酷い人。私に恋焦がれさせた人。私を壊しかけた人」
「あや、の、ちゃん?」
「私を殺してよ。じゃないと、殺すよ?」

 言った。言ってしまった。

「だってあなたが好き。あなたに殺されるなら、本望だもの」

 彼の表情さえどうでもよくなるほどに、彼が好き。
 噛まれて逃げ切れたの自体奇跡かもしれない。でも奇跡はそれでおしまいでいい。
 私は彼が好きだ。だけど彼には好きな人がいる。だから、彼の手で私を消して欲しい。
 オオカミ病は彼の手で消してもらうに好都合だ。だって、大義名分をもって人を殺せるのだから。

 ほら、殺してくれるよね?
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