松田優作、 ぼそぼそ……と語る。

【1988年6月】

インタビュー◉増山善万

松田優作には、自分を変える力がある。

役者は、役を演じる。自分とはちがうある人間像を演じ、その役を降りれば、役者はまた、もとの自分にもどる。

しかし松田優作は、もとの自分にはもどらない。彼は、ある人間像に限りなくのめり込む。その人間像からなにかしら新たな力を得て、その力でもとの自分を変えてしまう。

だから彼の顔は、変わっていく。

いまの松田優作の顔は、いまだけしか見ることができない。

新たな役(ソウル)を己の肉体に受肉させ、その役(> )と自分との激しい相克の嵐を耐え抜いた颜……映画創造というその嵐のなかから、新たな松田優作が誕生する。

その誕生の産声は、ぼそぼそと、しかしある確かさをもって,始まる……。

『嵐が丘』を見て、あ、ついにやったな、と思った。松田優作はまた新たな自分をつくりあげたな、と思った。感動した。わくわくして、スッゲッーって声をあげた。松田優作は『太陽にほえろ!』のジーパン刑事のときから好きだった。確かにへたくそだった。セリフなんて、ただぼそぼそうめいているだけみたいだった。でも、だれも持っていない独特の存在感があった。こんなやついないぜって、思わず叫びたくなる感じだった。

そして一連のB級アクション映画。それは土曜の夜の五本立てオールナイトで見て、そのまま日曜のまぶしい陽ざしをさけながら自分のアパートに帰り、世の中のことなどなにも考えずにぐだぐだと眠り続け、月曜の朝からまたおとなしい社会人として一週間を送る、そんな感じの映画だった。つまり、そんなふうにしか、いまとなっては言いにくい、ひとつの時代だったのだ。

しかし時代は進む。松田優作も進んだ。『家族ゲーム』だ。あの『家族ゲーム』の松田優作のキャラクターは、またもや、こんなやついないぜっていう感動だった。何度見ても、彼の芝居はわくわくものだった。

だけどそれからの松田優作は、悩んでいたような気がする。『ア・ホーマンス』には、彼の映画に対する苦渋に満ちた愛惜と、悩みつかれた挑戦が表れていたような気がする。

しかしいま、なんてこったろう。『嵐が丘』で、松田優作は、彼を呪縛していたなんらかの限界を突つきったようなのだ。そんな松田優作に会いたくて、声援を送りたくてドキドキしながら、会いに出かけたのだった……。

インタビューの場所は、新宿南口にある喫茶店。そこには正真正銘の松田優作がいた。最初に今回の企画意図を說明したら、ラフコンテを見ながらぼそっと「まるで大河ドラマだね」と笑顔で言った。そこには役者松田優作の顔はなかった。フッとタバコの煙を吐く横顔は男のぼくでもゾクッとするものを感じた。その細く長い指にはさまれたタバコの銘柄は“エコー”だった。ここにはなんの飾りけもない、いい男がいた。

———さっそくですけど、近く公開の『嵐が丘』について聞かせてください。

松田 最初脚本(ホン)を読み終えたとき、漠然との“やだなあ~”と思いました。吉田監督とは『秋津温泉』のニュアンスでいっしょに仕事ができたらいいと思っていた。そこにいきなり設定を中世に置き換えた『嵐が丘』ですから、まったくとっかかりがなくて。でも監督に会って話しているうちにね、監督の目や口がきれいだったんで出演を決断してしまった。

———ロケ現場で苦労なさったことは?

松田 (あっさりと)特になかったですよ。ただ事前に吉田監督とコミュニケーションしたものが、撮影が進むうちに少しずつズレていくわけですよ。一日の撮影時間が一四、五時間あっても照明に凝りに凝ってましたから、せいぜいニ、三カットという状態で、監督もキリキリしてましたから、役者一個のあるニュアンスのズレを話す機会が、スタッフの活気に押されてないわけですよ。これが自分が演じていくうちに解決できればよかったんだけど、演(や)れば演(や)るほど妙な方向に行っちゃって。それが一〇日ぐらい続いたのかなあ。そのへんがどうにも我慢できなくて、現場の大変な状況を踏まえて、自分の一大決心で監督に話してみました。もし、このときに「まあまあいいじゃないか、そんなこと」などと言われたらこの映画、降りてました。でも監督はその日の撮影を中止にしてくれましてね、いろいろ現場的な観点からこっちから質問したりして話し合った結果、とにかく、自分が監督の世界のなかに入っていけばいいんだってことが決心できた。それからはなんの苦労もなかった。

———馬に乗ったり、踊ったりすることは今回が初めて?

松田 そうです。それから能もね。でもこれは苦労っていうもんじゃないですよ。それはもう役者の性ですからそういうの大好きだから、あたりまえですから(ほんとうそうなんだよね。役者たるもの、こうあるべきなんだよね)。

———今回共演した女優さんたちはいかがでした。まず田中(裕子)さんは?

松田 すごい女優さんですね。日常と非日常の境目が微妙に揺れるというか。押すと引くし、引くと押してくるし、結局、指一本つかむことができなかった。ぼくとしては欲求不満が残り、あんまり幸せな出会いじゃなかった。

———石田(えり)さんは?

松田 もうあのままですよ。非常におおらかな方で、大きな可能性を持っていらっしゃる女優さんだと思う。ただ映画そのものにかかわっていく欲がないから、与えられた仕事はきっちりやるけど、現在は残念ながらなんとなくタレントさんになっている。もっと危ない監督や俳優と手合わせしていくところを自分で欲を持って選んでいくようになると楽しみですね。

———高部(知子)さんは?

松田 これからじゃないですか。もっと開き直って、蓮っ葉な女になっていけば、頭もいいし、よく勉強しているし、いい女優になるんだろうね。

———それから『嵐が丘』で壮絶な決闘シーンを演じ合った古尾谷雅人のことを尋ねた。

松田 やはり、これからの映画を背負って立つやつのひとりだよね。いまはちょっとなまけている。もっと責任あるはずだけどね。話しているとやつの持っている感性とか勘のようなものは、あたっているよ。でもそれを具体的にしていく作業をなまけている。もっと欲出さないと。

言葉の端々に後輩に対する愛情が感じられた。

映画デビューは『狼の紋章』。この作品でもう、ただならぬ新人ぶりを見せていた優作アニイ。デビュー直後のころを語ってもらった。昔のことはしゃベりたがらないと聞いていたのに、意外にあっさり話が始まった。

松田 デビュー前から東宝のあるプロデューサーと知り合い、ときどき社内試写に呼んでくれたりして、ぼくも映画のシノプシスなんかを書いていた。そこでそのプロデューサーから「君は脚本家になりたいのかね」と聞かれて「実は俳優になりたい」と答えたら「いまの撮影所は新人俳優を採らなくなっているから、どこかの劇団に入ったほうがいいよ」とアドバイスを受けた。それで六月劇場を経て文学座に入った。ちょうど文学座にいるときに『狼の紋章』のオーディションの話があって受けた。当時、こっちは映画だったらなんでもいいわけですから、合格したときは、「うあ、やった!」という感じで、もうお祭 り騒ぎでしたよ。

———一時代を築いたと評価できる一連のB級アクション作品群。さて、どういう感想をいま持っているのか……。

松田 (考え込む優作)もう時効じゃないですか。役者とか映画俳優とかいう時代じゃないですよ。ただ素材として『太陽にほえろ!』からピックアップされて出てき、体つきもこのとおりですから、来る話はアクションものばかりでしたよ。もちろんアクションものは好きですけれど、いろいろやりたかった。ただ「遊戯シリーズ」の始まりのときに黒澤満というプロデューサーとのいい出会いがあった。なんと言ったらいいのかなあ(少しの間)妙なフィルムノワールをつくっていきたいという満さんの船出にお手伝いできたというか。こうして何本か手合わせしていくうちに、いい関係になり、自分からもどんどん企画を出すようになった。そういう意味では、この時期は映画をいろいろな角度から見て、いろんなことを知ることのできた非常に密度の濃い時代でした。

———このころ、監督としてよく組んでいた村川透さんに関しては?

松田 (ちょっと笑みを浮かべて)别れた女房って感じですね。いろんなことを教えてもらって勉強になりましたし、そういった意味では恩師ですよ。

———ご存じのとおり、松田優作はCMで一風変わった味をお茶の間に提供しているが、彼のCM論を展開してもらった。

松田 ニュアンスのはしょり方がむずかしい。厳然と売るものが自分でなく、ものですから、商品と合体しないで、どこか離反しながら、全部ひっくるめてお送りできることを考えつかなくちゃいけないですから。そこがいつもCMに取り組んでいて燃えるところなんですけど。非常に勉強になりますよ。情報としてのCMメディアは最先端ですからね。映画界などの人たちが逆にCMからいろいろ勉強すべきですよ。特にCMが持つあの瞬発力なんか見習うベきですよ。

———シンガー優作も彼の見逃せない一面だが、年内は映画に賭けてライブの予定はなし。彼に歌や歌手としての活動について聞いた。松田優作のなかで歌手というのは……愚問だった。即座に次のような答えが返ってきた。

松田 歌にしろ、CMにしろ、映画にしろ、おもしろいものはみんな同じです!

———このとき、胸突かれた思いで、次の質問が浮かばなかった。すると、優作さんのほうから言い出してくれた。

松田 どっちにしてもぼくはストレート、ロックに入れなかった人ですし、もしそういう環境にあったら、一五、六歳からロックやってましたよ。港町生まれで、演歌をよく聞いていたくちだった。いま、好きなミュージシャンはブライアン・フェリー。あの危なく、のめっているというか、過激でいやらしいところが、いいね。

———以前のようなブルースは歌わないのだろうか。これまたきっぱりと答えが返ってきた。

松田 あれは、ブルースなんて代物じゃないよ。ただ演じていただけ。本気でブルースを歌うのは大変なことですよ。

———映画が好きな人と聞いていたが、そのとおりだった。実にシビアな目で真剣に映画のことを思っている、そんな風情の優作がぼくの目の前にあった。最近見てよかった作品は? と尋ねようとしたら、質問が終わる前にただひと言。『ブルー・ベルベット』という答えが弾むようにして出てきた。この作品のどこがよかったんですか?

松田 もう全部ですよ。あの変態。ねえ恐ろしかったよね。おもしろくて、たまらなかったよ。もうあの映画で気持ちが半年もつなあと思った。

———ほかには?

松田 『ロボコップ』ゃ『ラストエンペラー』を見たけど『ロボコップ』はけっこうおもしろかった。『ラスト……』のほうはまあ、あんなもんでしょう。

———次いで、いまの日本映画のことについて質問を投げつけてみた。

松田 (少々冷やかに)いいんじゃないですか。そうあせることもないですよ。映画は今後、メディアとしてはっきりし、気がつくことがたくさん出てくるでしょう。(次第に話が熱っぽく)まだまだ映画界の底辺は貧しいよ。ただ少しずつ衣装や小道具にしても、撮影所にあるものを持ちまわりで使うのでなく、新しいものを外から取り込んだり、探したり、工夫したりする動きもありますけど、まだまだこれからですよ。

———ここで、ここ二、三年日本映画で話題を独占している『マルサの女』など伊丹十三作品のことを聞いてみた。どんな答えが飛び出すか。

松田 映画じゃないですよ。映画で見る必要ないですよ。あんなもの。映画でアイデアを見ようと思っていないし。だって人間が撮れてないよ。得したのは奥さんじゃないですか。宮本(信子)さんはほんとうにいい女優さんですからね。テレビだけで終わる人が映画女優として脚光を浴びたわけで、それ以外は別に見るベきものじゃないですよ。最初の『お葬式』から人間じゃないな、冷たい人だなあと思っていました。菅井きんさんの泣いたモノローグでもなにも感じなかった。このことは伊丹さんに言いましたけど、ぼくにもし出演の話がきたら、そのヘんのことはきっちりやらなければならない。勇気があればね、むこうに。山崎努さんや三國連太郎さんといった優れた俳優さんを利用して、ただ撮っているだけで、ただ監督が趣味的に遊んでいる。家でビデオを見てる感じで、ぼくはあまりいいとは感じないですね。

———ビデオはよく見ますか?

松田 見ません。映画俳優がビデオ借りてきて見ちゃいけないですよ。それは情けないよ。

———気持ちいいぐらいはっきりした返答であった。自分の出演作品ビデオは?

松田 持ってますよ。くり返して見ること?見るわけないでしょ。そりゃバカですよ。ああ、いい芝居してるなあなんて、気持ち悪い。

———新作ではすごくきれいな肉体を披露してましたけと、スポーツクラブなどにかよっているんですか?

松田 そうお?ずいぶん腹なんか息を吸い込み、引っ込ませていたけど。水泳はやっているけど、特にクラブはかよっていない。バカですよ。いくつになっても小さいパンツはいて、タバコ喫ってんのもいるけど……(だれのことだろう)。

———いま、気になる監督っていますか?

松田 (少しの間)うーん、石井聰亙かな。彼はいいですよ。海外をまわって精力的に勉強しているし、だんだんつくっているものが過激になっていく。将来、機会があったら、彼の仕事のお手伝いをしてみたいね。

———最後に松田さんの未来は?

松田 未来なんてないですよ。死ぬまで不良品ですよ。自分を欠陥商品として認めてくれる現場でしたら、牛乳屋のおやじでも喫茶店のウエイターでもなんでもやりますよ。映画そのものに責任を持っている現場が大事なんだよのね。そういう現場で、死ぬまで役者やっていたいですね。

ビデオコレクション○1988年6月号

《松田優作、語る》

Report abuse