アメリカを拳銃(ピストル)で撃ってやる

【1985年7月】

構成◉逸見芳正

カチンコが鳴る。俳優・松田優作が二年ぶりに映画に主演した。 夏目漱石の名作『それから』の映画化である。 久しぶりにスクリーンに登場する彼の実像を追ってみた。


彼、松田優作とは変なところでばったりと出会うことがある。こちらは深夜、仕事あと相変わらずのドリンクナイトのときであり、彼は仕事を離れて友だちと芸能人してないときである。

彼とばったり出会う場所、そこは下北沢にあるJAZZ・BAR「レディ・ジエーン」だ。このグラビア撮影に入る前、記者は久しぶりにそのBARに行った。

その日は、午後一時から東京会館で今秋公開の映画『それから』(東映)の製作発表があった。こちらのメモ帳によると四月五日、まだ桜が満開のころだった。

ぼくはバーボンを飲んでいた。彼はウイスキーの水割りを静かに飲っていた。

「きょう、記者会見に行ってたんですよ。いい映画になりそうですね。……来週から優作さん追いますから、よろしく」

「ああ来てたの、質問しなかったじゃないの。久しぶりだね、よろしくな」

松田優作と初めて仕事をしたのは、二年前のことだった。彼が主演賞をとった映画『家族ゲーム』のクランクアップ直後だった。森田芳光監督、伊丹十三、松田優作の三人で座談会を企画した。赤坂にある中国料理店「海皇」での出会いが最初だった。

対談を終えてから森田芳光、松田優作と三人で原宿にあるBAR「RADIO」に飲みにいった。この夜、森田芳光、松田優作のふたりは、もっぱら映画談義の連続であった。

「おれはアメリカをピストルで撃ってやる」

その夜、彼が吐いたセリフを鮮明に覚えている。彼の言うセリフはアメリカに日本の映画が進出すること、彼自身も俳優としてアメリカ映画に挑戦することを意味するのだった。

山口県下関市生まれの彼は六八年、市立下関商業を卒業後、アメリカ人と結婚していた叔母を頼って渡米した。一年ちょっとアメリカを放浪して帰国。六月劇場、マールイを経て七二年文学座に入ったが“あの一年間の放浪”が、彼の心の奥にアメリカという国を意識させたと思える。

映画、ロック、風俗が彼のボディに染みついてしまったのだ。

松田優作にとっては二年ぶりの映画がクランクアップした。明治の文豪・夏目漱石の名作『それから』の映画化だ。監督は森田芳光、共演者は小林薰、藤谷美和子。 ぼくは下北沢のBARで彼に会ってから二週間ぶりにロケ地・鎌倉で彼にインタビユーした。

———酒、やってますか?

松田  ちょぼちょぼだね、朝早いから適当にセーブしてるよ。

———クランクイン前に山にこもったとか。

松田  そうなんだ。奥多摩にある温泉なんだけどね。シナリオ読みじゃなくストイックになるためにはちょうどいいからね。山のなかにある旅館なんだけど、おれはよくそこヘは行くんだよな。

———森田監督とは久しぶりの作品だけど。

松田  彼は完全だね、まちがいない。……サングラスをかけてから監督は攻撃的になってきたとはっきり言えるね。

———夏目漱石の原作を意識しますか?

松田  変わりはしないんだけど、素材が素材でしょ。だから向かっていかにゃならない部分と、守りながら攻めていく部分とふたつの側面があるからね。

———ふたつの側面ってなんですか?

松田  守るってことは風格とか雰囲気を大事にしなきゃいけないってこと。攻めるってことは監督の意図を自分で画(え)にすることなんだけどね。でも明治にはこだわってないですよ。おれは男と女の話をやりたかった。監督やおれのような新しい酒を、古い皮袋のなかに入れるとどうなるかなってことだよね。いい映画になります。

———以前からアメリカを攻めるって優作さんは言ってるけど……。

松田  ロバート・デ・ニーロが『恋におちて』で、同じような題材をやってるよね。いままではくやしかったけど、こんどは『それから』のほうが格上ですよ。ことしのベストワンになりますよ。

———昔はサングラスでアクションスターのイメージが強かったけど『陽炎座』『家族ゲーム』から男の色気が出てきた感じがありますね。

松田  ありがとう。うれしいね。自分では意識してないんだけど、男の色気って変えられるもんじゃないからね。

———これからの予定は?

松田  企画中の映画はあるけど、ずつと先だな。年に二本も撮ってコマーシャルにも出られれば最高だけどね。

松田優作と音楽シーンのことはあまり知られていないが、八〇年から彼はライブ活動をおこなっている。ことしも五月二三日の渋谷公会堂を皮切りに全国コンサートをおこなった。三月二一日に発売されたアルバム『DejaーVu』では自ら作詞をこなしレコードリリースした。

「三年前、おれのアルバムに“EX”が曲をつくってくれたんだけど、あれから彼らが気に入って、いまでは“EX”をバックにライブをやってるんだ」

ギター・梅林茂、ベース・奈良敏博、ドラム・羽山伸也の“EX”をバックにシャウトする松田優作に新しい側面を見た。会場は女性客でいっぱいだった。

ステージが終了し舞台裹で、パーティがおこなわれたが、彼の友人たちがどっと会場にかけつけた。桃井かおり、阿木燿子、美保純、辺見マリ……。会場は芸能人たちのアンコール運動会だった。

話は下北沢にもどる。コンサートが終わった夜、ぼくとカメラマンは下北沢の「レディ・ジェーン」に行った。松田優作のコンサート打ち上げ二次会があったからだ。

「モシモシ大木さん。優作さんたち来てます?これから行きますので優作さんに伝えておいてください」

大木さんとは「レディ・ジェーン」のマスター・大木雄高さんのことである。彼はかつて劇団で役者をやっていたことがある。松田優作とは無二の親友なのだ。

「いっぱいですよ。でも写真なしにしてちょうだいって……」

カメラマンと店に行くと、コンサート会場から流れた芸能人ばかり。宇崎竜童、原田芳雄、羽賀研二、永島敏行……。

「コンサートよかったですね。でも、前半はよくなかったみたい。後半の『ベルリンからのリハーサル』と『DejaーVu』はよかったけど……」

「おまえ、それはないだろ」

松田優作に怒られてしまった。

彼、松田優作は友人を大切にする男である。「レディ・ジェーン」が一〇周年を迎えたことし、彼は発起人となり、一〇周年パーティを青山ベルコモンズで開催した。

「優作さんとはもう長いよね。よく店を利用してくれるけど、仕事の話は店ではしないよ……」

いま大木さんは松田優作の大切なバックボーンのひとりになっている。

「こんどの映画を撮る前、ニューヨークに行ったんだ。よく行くんだけど、あの街は最高だね。森田(監督)といっしょだったんだけど、映画の話はぜんぜんしなかった。『それから』はずっと先のことだと思ってた。気分を変えるには最高の街だね」

映画がクランクアップする日、ぼくはにっかつ撮影所にいた。撮影所の食堂で特別に時間をもらって話をした。

「うまく書いてくれよな。絶対いい映画になるから。また下北沢で会おうや」

調布の近くにある河原で撮影のラストカットが終わったあと、記念撮影があった。監督と彼はサングラスをかけていない。カメラマンがシャッターを押す瞬間、スタッフ全員がサングラスをかけた。パチパチパチパチ……。

全員が拍手をした。

「映画って最高だよ。雑誌だってそうだろ。こんど対談やるときはビデオで撮って原稿を書くのもいいアイデアだと思わない?編集者もこれからはビデオだよ」

二年前、彼からそう言われたことを思い出した。

一年に一本の映画と二本のコマーシャルで生活する松田優作。

“アメリカを拳銃で撃ってやる”と、自分のハートに“ピストル”を抱き続けている役者・松田優作。アクションスターは放棄したが、心にはハードボイルド魂を秘めている。

いまごろはニューヨークか温泉か?

また下北沢で会いたいものだ。

HEIBONパンチ○1985年7月8日号

《松田優作、語る》

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