『華の乱』インタビュー

【1988年10月】

インタビュー◉山口 猛

松田 ことしになって、突然、岡田(裕介)プロデューサーから、深作作品に出ないかどうかを打診してきた。それはふたつ返事。

———即決ということですか?

松田 極めて珍しいことだね。おれは、現場でもめるのがいやだから、脚本の問題、監督にしても、どこまで信頼できるかということがあるじゃない。疎通を欠いて、現場でもめたことがよくあったんだ。

———それは、よく聞きました。

松田 だから慎重になるということではなくて、長く続くと、そうしたことに、非常に嗅覚が敏感になってくる。深作監督は、以前から好きだったからね。

———とはいえ、深作監督の作風も、最近は変わってきたでしょう。

松田 でも、変わらない人間はバカだもんね。(深)作さんも、実錄物で日本一になったわけだから、たくさんやり残したことはあるにせよ、区切りがついたというか、映画作家として、もうひとつちがう角度が見たいというのか。おれは、別に深作欣二が変わったとは思わない。彼の要求は、常に新しい。なにかちがうものを求め続けているし、その姿勢は、なにも変わっていない。

———こんどの役の有島武郎は、実在の人物でしょう。その点で、有島の人物像を造形する場合、監督とディスカッションはしたのですか。

松田 今回はしなかった。資料もずいぶん集めたけど、有島武郎の映画ではないから、それは使えない。長い一生のなかで、心中の道行きと与謝野晶子に対するほのかな恋心のシーンしかない。こどもとの葛藤、死んだ妻、キリスト教の問題はいっさいない。ほんとうは、そのエキスをやらなければならないけど、全部を抽出できないわけだ。

———だいぶ、キリスト教についても調ベたそうですが。

松田 だって有島さんは、基本的には黒魔術の人だぜ。だから、一般的なキリスト教の枠からははみ出して、キリスト教の裏側から、なにかを感じた人なんだ。そのへんから突っ込めば、これは、かなり危ない映画になる。

———きのうの、大杉栄を助ける有島のシーンにしても、あれは現実にはありえないですよね。

松田 いや、それは解釈の問題だな。おれは、あれが有島だと思っている。デカグンスなんだよ。ぎりぎり死んでもいいというところで、遊びまくっているんだよ。

———そうなると、波多野秋子は、象徴派の好きな“運命の女”になりますね。

松田 そうなんだよ。でも、これは与謝野晶子さんの映画だから。大正時代の逞しい女性、封建的な世界から、解き放っていく女性の時代の映画であり、それに男たちがどうかかわっていったか。そのへんの大正ロマンを深作欣二の世界でつくっていく。だから、おれが感じる危ない時間、有島さんを探るのはやめて、監督が考える有島さんになる。おれなりの感じ方で、監督との距離感を縮めながら、どこか競合していくものをつくり出していく。ただ、それに、おれはすごく満足している。

———実際に、深作監督とはどうですか?

松田 これは、合う。おれは、映画のことを知っていて、知らないことを冒険し続けている監督と組みたいんだ。若い監督とも、いい結果を生んだけど、やっているうちに、もっと勉強したいなあと思って。より以上に昔の映画の樣式、優雅さ、豊かさを身につけたい。いろいろな明かり、立体感を知っている監督とつき合いたい。いまは、そういう時期だと思っている。

———その点では、東映京都は、昔の活動屋の匂いが残っていますね。

松田 スタッフは、最高だよ。すごい!驚いた!うちの仙元(誠三)さんたちのスタッフもすごいと思っているけど、それ以上だったな。

———熱意とか。

松田 熱意も同じ、技術も同じ。ただ、背負っているものが、まるでちがうんだな。まるごと東映だから。それは半端じゃない。

———松田さんも、気持ちよく仕事ができる。

松田 最高よ。映画好きな人ばかりだから。遊んでいるやつがいない。みんな、動いている。それがすごい。セントラル・アーツの仕事のときなんか、おれは、遊んでいるやつを見つけると、殴っていたものね。

———深作監督の下、統制がとれてますね。

松田 いや、統制じゃなくて、みんな、自覚があるんじゃないの。大リーガーだね。

———松田さん、前は、プロデューサー的役割で映画に参加したことも多かったですけど、今回は俳優としてのみですね。

松田 でも、これからの映画は、役者だけとか監督だけとかいうのはダメだよ。ポジションによって、新しい角度でものを見て、意見を出し合って、それぞれがプロデューサー的な役割を果たさなければダメだと思う。職人的なことだけやってはダメな時代だよ。

———それでも、この組は職人的色彩が強いんじゃないですか?

松田 それはわからない。おれは、いま、作さんに夢中になっているからね。いろいろと若い監督も出ているけど、深さがちがう。『仁義なき戦い』なんて、一五年前だよ。いま、あれほどの映画を撮れるやつがいるか?彼は、そういうことの積み重ねで来たわけでしょう。単に、時代に目新しいということではない。時代に入って、こだわっているところがあるから。人間の見つめ方にしても、まっすぐ見ているかと思えば、うしろから見ているからさ。いま、新人がいっぱい出ているけど、頭打ちじゃない。それは決定的に、経験が足りないからだ。経験というのは、単なる時間の積み重ねではなく、人を感じる目であり、耳であり、皮膚感覚なわけだ。わかるかな、新人監督たちよ。

———深作組がすごいと感じたのは?

松田 要するに、湿っている、乾いていない。作さんはね、いつも肉体を濡らしていたいという人だから、わかるんだ。

———深作監督が松田さんにどういうふうに要求するんですか?

松田 現場で、ヒソヒソしゃベっているだろう。あれだよ、あれ。ただ、それは說明できない。大きな動きがあって、それを一、二、三、四と数えるとすれば、一と二のあいだにコンマ二とか三を入れてくれという話だから。一、二、三、四は予定調和で、八〇点はいける。だけど、俳優が、それでできるとなれば、一と二のあいだに一〇刻みを入れる。そういう感じだ。

———具体的にきのうのシーンでいえば、吉永さんとの出会いで、松田さん、ゴーグルを上げたでしょう。そのとき、両手でとるアイデアを松田さん出しましたね。

松田 そう。言わないけど、監督は誘発しているからね。

———それが、監督と俳優の勝負なわけですか?

松田 勝負じゃないんだ、いっしょにつくっているんだ。監督に勝てるわけはないんだから。ただ、バカな監督が多いから俳優が勝てるだけでね。でも、いるんだな、とんでもない監督がね。ちゃんと、見ている。監督は、現場でアンテナを張っているわけだ。俳優は、演じるということで電波を出しているけれども、同時に見られている意識がある。それを判断しようとしている監督が、俳優の電波を感じ「ちがうな」という。そうすれば、こんどは、俳優が「何ミリかな」という確認をする。おれが、そうした微調整ができるとなれば、こんどは、それに応じて監督の要求も多くなる。

———口には出さないわけですね。

松田 でも、言わないのは失礼じゃない。だから、わざわざ来て言うのは、一種の愛情交換だな。それができる人を“濡れている人”というんだ。

———吉永さんは初めてですか?

松田 テレビでやったことあるけど、あの人は化けものだな。やはり日本一だよ。日本の風土に合っているのか。何者にも負けずに、何者にも向かっていくし、何者にも引く。

———引くというのは、距離をとるということですか?

松田 そう、距離が上手なんだ。女優をやることでこどもを産んでいる人だから。その産み方がカラッとしすぎているから、淡白に見えるけど、どうしてどうして、すごいよ。自分の皮膚、瞼が、何ミリ、コンマ何ミリ腫れるだけで「ん?」となる人だから。それは、普通の人じゃ気づかない。微妙な周波数でイラッとくるとかね。

———今回の収穫というのは?

松田 吉永さんもあるし、東映京都撮影所、そして作さん。いろいろな意味で、トータルして、おれがいままでやってきた距離感で、どこまでお手伝いできるのかということだよ。

———ずいふん、謙虚じゃないですか。

松田 おれはハチャメチャやりたいのよ。そのための、深作欣二監督、吉永小百合、松田優作の序奏としては、いい出会いだったな。だって、ほんとうの監督というのは少ないぜ。『仁義の墓場』で、女房の骨を食うという発想、しかも、そのシーンが、またすごい。やっぱり、こっちがふたつか三つ考えているところを、五つも六つも考えている人と、やりたいじゃない。

キネマ旬報○1988年10月上旬号

《松田優作、語る》

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