自室に長身を横たえた松田優作は冷たく、目を閉じ、顎髭の伸びたその顔はつややかだった。
その突然の死は、四十歳という未完の死だった。
彼との出会いは、映画雑誌の聞き手とその対象であるスターとの関係にしかすぎず、インタビューの間の一時間という互いの人生で交差するわずかな一瞬を過ぎれば、そのまま別れていくものであった。
にもかかわらず、そうはならなかったこと。あえて松田優作がインタビュー後の時間をあけてくれたことが、今となっては決して偶然とは思えない。
その時から松田優作は心の中に入ってきた。
だが、彼と会うことで、互いのプラスになるような具体的な仕事を進めたわけでもなければ、気が合う友人になれたというのでもなかった。
松田優作との付き合い、彼との会話は、一種の格闘にも似ていた。問いかけに対して、彼は答え、反論し、さらに次のものを求めた。なんの目的もなしにただ会うことなど、出来るはずもなかった。
そこでは、たんなる聞き役であることは許されず、いつも自分が何者であるか、なにをしようとするのかが問われていた。彼はひとりの俳優という以上に、誇り高い芸術家だった。
彼と出会ったのは一九八八年の八月五日であるから、わずか一年余りである。
だが、その一年というもの、松田優作という存在が心から消えることはなかった。
彼とは、会うこと自体が仕事であり、長い会わない日々はその会う時のための準備といってもよかった。
この間、松田優作には、その人生を飛躍させるはずであった『ブラック・レイン』の出演があり、彼の変化にそのつど突き放されそうになりながらも、彼にどこまでついていけるのか、それを一年の間、問われていた。
ニューヨークでの撮影現場を見に行くこと、そこで彼と同じ空気を感じることが、彼と会い続けるための条件の一つと考え、ニューヨークにも飛んだ。そして、『プラックーレイン』公開直後の彼ヘのインタビューをそれまでの準備期間一年の総決算にしようとしていた。
彼に、『ブラック・レイン』に明け暮れたこの一年間のこと、また、『プラック・レイこ』以降のことをいろいろぶつけてみたかった。
ただ、納得のいく答えが出るかどうかは分からなかったが。
もちろん、それでもよかった。
「お前は、俺のことをどこまで書けるのか」
それが松田優作からつねに突きつけられていたダモレスクの剣だった。
だが、「優作がいなくては、俺はつまらないよ」と、彼が父のように慕っていた所属事務所のセントラル・アーツ社長・黒澤満が言った言葉を聞きながら、今、こうして松田優作のことを書こうとして、その言葉の裏にどこまで迫れるか疑問になってきた。
また、二人でひとりのように生きてきた美由紀夫人と話しながら、他人の入り込めない二人の深い絆を感じ、樣々な思いが浮かんでは消えた。
そのたびに、後から、
「お前は、いったい、なんなんだ!」
という、あの低い叱咤する声が聞こえてくる気がした。
結局、自分が見た中の松田優作を探り出すしかない。
まず、松田優作との出会いからはじめよう。