絵について普段考えていること


線画

# 線画のダイナミクス

線画が一定の太さであればデフォルメや版画のような良さもあるが、必要に応じて太さに差を設けることによる良さもある。極端に明るい場所では線を細くする、あるいはもはや線をフェードアウトさせてもいいかもしれない。逆に、暗い場所では太くする。また、近くにあるものに関してはコントラストが高いので線画を太くする方法もある (→ #空気遠近で見えないものを描く) この考え方を拡張することで、交差線の処理を得ることもできる (→ #交差線のラウンドエッジ処理)

# 交差線のラウンドエッジ処理

線を交差させる場合、そのままにするのではなく、その部分を丸いエッジになるように足して調整する。物体のエッジが平面的にみた時交差しているような状態ということは、その近辺で影になる部分であることが多い。アナログでインクを使って描いた場合の処理で見かけたものを落とし込んでいる。ただし、前後の位置に差がある場合(腕と服など、接していない場合)それらは独立な線になるのでしないこともある。個人的には「面取り」と呼んでいる。この処理をするようになってから、線画時点での完成度が高まり、モチベーションの維持にも役に立った。

# 線画を塗りに馴染ませる

線の色は他の塗りが概ね完了した仕上げ段階で、マテリアルの影色に合わせるか、明るい部分ではリムライトとして残すことで馴染ませやすい。色トレスの手法により、明るい部分は線画に赤を差し込むことも有用である。これは部分的に色収差エフェクトの拡張とも考えられ、RGBを分離して位置をずらすことから、白に起因する赤の成分が線画の暗い位置に乗せられることで輪郭が赤く見えると捉えることができる。例えば、白の右側が暗いならここの線は赤だ、といったルールを決める。なぜ赤なのかというと、輝度の式 (Y=0.299R+0.587G+0.114B) に倣えば青は暗くて目立たず、緑は植物以外では馴染ませることが難しいためである。(→ #サブサーフェス・スキャッタリングの拡張解釈)

# 線画は光と影のデフォルメにすぎない

世界に線は存在しない。線画における線とは、光と影を境界に基づいて抽象化したものであり、立体を簡略化して理解するための一時的な構造であって、これがもし完成形にも残存するならばそれも一つの絵柄なのだと思う。線画を使わずに絵を描くこともあるが、その際に考えるのが影としての線画の振る舞いで、境界線を強調したいときに後から線的な境界を追加することがある。その場合、本当に必要なのはその位置における影だと気づくことがある。また、人間は変化を情報として活用する。簡単に触れると、網膜の桿体細胞が得た視覚情報が0001111というとき、脳はその勾配全体ではなく境界を取り出して0001000のようにして意味づける。一次視覚野 (V1) のニューロンがそのような輪郭検出を行っている。つまり、線とは明暗の差分を抽出した結果として存在していて、線画はこの情報抽出とも符合していて、そのためにある意味の直感的な印象を与えるのだと思う。

# 初心者のための線の引き方

初心者向けの話として、これは「線」だから細くしなくてはならないという固定観念に足を掬われないようにと言いたい。線は細いほど、正確な立体把握が求められ、かつデフォルメを弱くする必要があるのでハードルが高くなりがちである。太い線であれば、塗りをするように輪郭を削ることもできるし、修正も容易。デフォルメを「作る」ことには技術が必要なものの、真似して描きたいものをデフォルメチックに描くことの方が絵の楽しさを掴みやすいのではないかと思う。細い線に几帳面になって消耗していた始めたての頃は、苦い記憶として残っている。

# 線の滑らかさ

私は常に手ぶれ補正が大きく、Procreateではモーションのフィルタリングという手ぶれ補正の上位機能を使っている。しかし意図してのことであり、理由としてはなるべく余計な情報のない綺麗な線を引きたいという点に尽きる。円弧、楕円、二次曲線、などのシンプルでノイズのない形で線を引くことで、その位置における情報量管理に余裕が生まれるし、元々目指していたデフォルメの図形的な表現や、ベクターに落とし込む時にも同じ手法のまま進むことができる。もちろん、手ブレ補正を入れない、その人の筆跡がそのまま残るようなものも絵柄として成立する。ただ、私が几帳面すぎるゆえ現在の方針に落ち着いた。

塗り

# 色が存在する理由

物体に色がついて見えるのは、光の反射・吸収・散乱の割合が物質ごとに異なるためである。光そのものに色があるというのは部分的には正しいが、より正しくは、ある物体に光が当たったとき、光のスペクトルのうち「どの波長を吸収し、どの波長を反射するか」によって、我々が認識する「色」が決定されている。絵に色を再現するとは、光と物質の間で起こる吸収と散乱を模倣して現すことだといえる。

# デジタル混色の絵の具との違い

前項で述べた光の取り込みと放出の両面を扱う理論としてKubelka-Munk理論がある。これは、物体内部における光の吸収係数Kと散乱係数Sを用いて、層状の塗膜から出てくる反射光の量を計算するモデルである。変数や計算式については触れない、それよりも定性的な判断をすることのほうが役に立つ。絵の具は表面で単に反射しているのではなく、内部で光を何度も散乱させながら、一部を吸収し、残った波長が外へ放射される。このため、同じ「青」でも顔料の種類や厚みによって見え方が異なる。たとえば青い物体は青い波長を強く反射し、赤や緑を吸収する。白い物体はすべての波長をほぼ均等に反射するため、光の成分を変化させない。黒はその逆で、光を吸収してほとんど反射しない。重要なのは、絵の具同士を混ぜると、光が通過する経路の中で複数の吸収・散乱が連続的に起こるという点である。黄色の顔料は青の波長を吸収し、青の顔料は赤と緑を吸収する。その両方を混ぜると、結果的に吸収されずに残る波長が緑だけになる。これが「黄色と青を混ぜると緑になる」という現象である。すなわち、絵の具の混色は光の経路における吸収スペクトルの積として表現できる。一方で、デジタル上の混色は、画面上で光が直接発光する加法混色であり、RGBの値を単純に線形補間する。これは「光の強度の平均」を取る操作であって、「物質による吸収」を経ていない。そのため、中間色ではスペクトルが広がり、彩度が落ちて灰色がかる。つまり、絵の具の緑は「光が生き残った結果」であり、デジタルの緑は「光を混ぜた平均」である。この違いが、物理的絵の具とデジタル混色の最大の差異である。そのため、単に不透明度50%で塗るだけでなく、彩度の高い中間色を追加するテクニックが存在する。

# 質感とテクスチャに基づく陰影

ハイライトが存在するのは、光源が物体に何かしらの反射(乱反射・鏡面反射)をした場合。直線的な光の存在を前提にすれば「同じ法線ベクトルを持つ」「同じ素材の面」であれば「同じような反射をし」「同じような色になる」はずである。例えば髪の場合は等方向に大量の稜線が細かく存在していると考え、髪の流れの方向にシャープさを持った尖った線を入れるほうが適切である。一方で例えば肌の場合、非常に滑らかな曲線が存在して稜線は曖昧になっている。この場合、より広く中間色を配置しつつ丸みを帯びた陰影にするほうが適切である。多くのイラストでは、この時にぼかしを活用する。ちなみに私はしない(→ #グラデーションを使わない理由) ただし、デフォルメの場合はこの質感を殺して記号的なハイライトを配置する場合もあるほか、トーンのように点をグリッド配置してテクスチャ情報量を増すテクニックもある。アニメでは特に意匠性ハイライト(図形パターン、特定の形に楕円を配置する、三角形を配置するなど)もよくみられる。

# 落ち影とアンビエントオクルージョン

影には大きく分けて二種類の性質がある。ひとつは光源方向に対して明確な遮蔽が発生する落ち影、もうひとつは物体間の隙間や凹みなど、環境光が届きにくいことによるアンビエントオクルージョン (AO) である。落ち影は言うまでもなく、物体により直線的な光が遮られた時に発生するため形が明確になっている。一方でAOは接触や密度によって生まれる。レンダリング手法は多くあるものの、概ね近くの手前の遮る位置にジオメトリがどれだけあるかを見ている。グラデーションがかった滑らかな陰影なのでぼかす方がリアルではあるものの、ある程度は境界を明確にした方が良いと考えている(→ #グラデーションを使わない理由)

# 色光と補色による影色の調整

光が色を持つ場合、影色は単純な暗い色ではなく、光の補色方向に寄せることで自然な空気感を得られる。光源が暖色(寒色)の場合、影色は寒色(暖色)系へ寄せる。かなり有名な手法であるものの、画面全体のその点における色設計をさらに前提に加える。マゼンタ寄りに設計する場合、たとえば背後からオレンジの逆光を受けると、オレンジの補色であるシアンをベースとして、これをマゼンタと混色した場合のインディゴを影として使う。

# リムライトの意図

逆光や複数光源下では、影の縁にリムライトを入れることがある。その構成要素の一つにフレネル反射(物理レンダリングの用語)がある。光が物体に浅い角度で入射した場合、エッジに沿った明るい帯として現れる。鏡面反射では本来は届かないアングルであっても、粗面反射では散乱によって観察者まで光が届くことがある。光沢がある面ほど細い帯で現れ、マット面ではより広い帯として現れる。それともう一つに、SSS (表面下散乱 = サブサーフェス・スキャッタリング)による透過光がある。皮膚・葉・布などの半透明物質では、光が内部に侵入して内部に散乱してから外に抜ける。この時、光の色は固有色(吸収されない色、肌なら体組織の色より赤)にシフトする。エッジに近い方が散乱の距離が短く減衰しないため、より強い光で、固有色は少ないまま透過することになる。結果として柔らかいリムライトとして現れる。

# サブサーフェス・スキャッタリングの拡張解釈

前項でも触れたサブサーフェス・スキャッタリング (SSS) は、特に皮膚に対して透過した光を赤で示すという手法であるものの、最近の流行にあるスタイルの絵をよく観察すると、白い服でありながら落ち影の境界に赤を配置しているイラストをよく見かけると思う。これは、同じような手法が解釈的に溶け合ったものだと個人的には考えている。まずはもちろんSSSのデフォルメとして皮膚以外にも赤が散乱すると解釈したもの。次に、色収差エフェクトの拡張として捉えるとおそらく赤が滲むのが最も適切であると考えられる (→ #線画を塗りに馴染ませる) それから、デジタルの場合は混色の中間色の彩度が低下する問題があり、その対応とも捉えられる (→ デジタル混色の絵の具との違い) 青と黄色を混ぜると絵の具ならば緑になるが、デジタルでグラデーションを作ると緑はくすんだグレーのようになる。同様にして、ハイライトと影色の間に彩度の高い色を適宜配置することは理にかなっている。

# 暗所における反射光の取り扱い

暗部に別の光源からの補助的な反射を配置する。例えば逆光環境に配置される青いドレスと白い袖があった時。白い袖には青が入ることになることは直感的にわかりやすい。しかし、これが逆光でなかった時、白色光が照らしていればこの青の反射は相対的に微量になり、視覚的に現れることがない。しかし例外もあり、透明感や全体の色馴染みの演出のために、あえて非実在の反射光を混ぜることもある。これはレンダリングのブルーム効果のような大気散乱を狙っているほか、極端な透明度や鏡面感は絵柄として成立させることもできる。

# 空気遠近で見えないものを描く

光は空気を通過する際に散乱・吸収される。遠景ほどコントラストが低下するのは、これによって一部の光が吸収され、色や明度が空気に固有の色に寄っていくためである。極端に言えば、赤いセロハンを通して景色を見たら全てが赤く見えるし、レースカーテンを通して景色を見たら空の青さはわかるかもしれないが全て白っぽい。これらと同じように、無色透明に見える空気が実は色のある物体であるということを意識する。理論的には主にレイリー散乱(光の波長より小さい物体〜100nmによる)とミー散乱(光の波長程度より大きい微細な水滴や塵)で言及される。波長の短い青系の光が特に拡散し、物体の彩度と明度を奪っていき、その結果として遠くの物体ほど淡い青に見える。これがいわゆる空気遠近である。また、遠景の輪郭線を明確に描くと距離感の錯覚が崩れるため、遠景ほど線画を使わないか、あるいは線の色を周囲の色に近づける方が自然になる。これを早描きの方で極めるとPhilip Sueの手法に行き着く。また、キャラクターを主要にしつつ背景も描く場合、背景をシンプルにする手段にもなる (→ #密度コントラストによる視線誘導戦略)

関係ないが、輪郭が取れることで遠くなるという感覚は音楽においても同じだったりする。高音域は空気中でよく減衰するため、遠くの音ほど楽器の音が出る瞬間に相当するアタック成分(高音域が豊富)が少なくなる。これを利用して楽器の距離感をコントロールする。

# 情報量を増やすための光のモジュール

絵の情報量とは、違和感なく何かしらの要素を追加することに概ね等しい。根拠のある光の流れのモジュールを追加してそれを明示的に描く。例えば、服から肌への反射光であったり、髪の透明度を大きく見積もって肌色を透過させたり、あるいはAOの特に強い奥まった顎下に影を追加してもいい。ここにこの色が欲しい気がする、と同等あるいはそれ以上の根拠を持ったとき、それを次々と描き加えていくことが肝要であって、そのための根拠はここで触れるさまざまな光の相互作用を利用することができる。また、物体や人体に対する凹凸の理解が正確であればあるほど、追加できる陰影の可能性はさらに広がる。これが情報量の正体である。

# 情報量を減らすためのコントラスト形成

光源がひとつしか存在しない環境では、陰影のコントラストはその光によって完全に支配される。遮蔽によって生じる落ち影、光の届かない逆光部、これらが最も強い明暗差を形成する。アニメ塗りの「一影」が成立する理由はここにある。主光源の影だけを描く。それ以外のAOなどの細かい陰影を省略し、明と暗、それぞれ素材ごとに単色で処理することで、情報量を減らしつつ形態を明確にしている。また、この前提は応用もできる。明部と暗部の境界をはっきり決め、それ以外の陰影はより些細な色の違いに抑えて扱うことで、意味のある明確な光源によるコントラストを際立たせることになる。多くの場合、これをなんとなくメリハリと呼んでいる。

# 顔について

現実的構造とデフォルメ表現の両方が介在している。前者は、骨格と筋肉による凹凸を前提とする。頬骨の凸、その下の頬の凹、眼窩のくぼみと眼球の突出、口周りの筋肉による膨らみ、唇の下の凹、顎の突出、これらを意識的に分けて陰影を作ることで形に説得力が生まれる。後者は主にメイクアップの記号化である。チーク、アイシャドウ、リップなど、色彩操作によって印象を作る要素がイラストでは記号として落とし込まれる。頬の赤みを楕円で入れる画風や、ハッチングにより色の濃さを演出するのはその典型例になる。どこまで構造的に描くか、どこまで記号化するかは絵柄の選択であるものの、個人的にはセルシェーダーかつリッチなグラフィックのゲームを基準として描くことが多い。

構図

# 密度コントラストによる視線誘導戦略

光の物理法則を活用することで、情報削減に「正当性」を与えることもできる。主にキャラクターを描き込んで視線を集めたいが、自然物など複雑な背景も描きたい、しかし時間は無限にあるわけでもないし注目させすぎたくもない。そういったとき、空気遠近 (→ # 空気遠近で見えないものを描く) を活用する方向性はとても有用である。ある程度は正しい質感を低コストで描くために、単色の輪郭を大まかに捉えるようにする。例えば、麦畑は遠くから見れば、おそらく黄色い塊にしか見えない。強いて言えば風に靡く時のまとまった帯のようなハイライトくらいは見えるかもしれない。つまり2色しか使わなくても十分ということになり、情報量もコントラストも削減される。また、影の中に入れることでもコントラストを減らすことができる。先ほどのような描き方では麦だとわからない、なので近景にも描いたとする。その際、近景の麦を逆光の中に入れてしまえば影の中で情報量が削減される(→ #情報量を減らすためのコントラスト形成)穂と止葉と芒を全て描くことになっても、これならば5色前後で済むと思う。他にも、逆光などで光量が少ない場合、単色光を当てることで空気感を演出しつつ色数と工数を削減することも可能である。

レイヤーモードと色理論

# オーバーレイで光に色をつける

オーバーレイは、前述の光の有無から彩色を捉えようとする方向性から攻めるならば「ここにどんな色の光が欲しいか」という判断を速やかに実現することができるツールでもある。基本の塗りが明確にできている中盤以降、光を後から追加していく際の手法としてとても有用になる(→ # 情報量を増やすための光のモジュール) カラーパレットで明度50%の部分を閾値として、それに対して明度の上下で加算をするか、減算をするかを取り扱い、右で彩度が上がるほど単色光の傾向が強いとして扱う。画面全体が右後ろから黄色い光という時、まず全体に明度50%前後でやや黄色の彩度をもつ色を被せる。すると明るさはほぼ変わらず全体に存在する環境光が黄色だったことになる。ここから、逆光の影になっている部分になる部分は、補色のインディゴの明度50%で描き込んでいく。影を深くしたい場合は、この値を50%から下にしてみると良い。これが補色の影を作る実践としては手早で簡単である(→ # 色光と補色による影色の調整) さらに慣れてくると、より明るい色をリムライトとして入れる場合も、逆光の肌のエッジに明度高めの赤のオーバーレイという選択肢が出てくる(→ # リムライトの意図)これは、皮膚内部で体組織を通過して出てきた散乱光が赤という点から選ぶことができる。反射光や透過光についても同様に取り扱うことができる。このように、そこにあって欲しい光の色を追加したり、あるいは削減したりというケースのワイルドカードになるのがオーバーレイである。

# 加算で近づく色の行き先

加算で光を重ねていくと、結果的にCMY(シアン・マゼンタ・イエロー)の方向へ近づいていく。なぜかというと、RGBは光の三原色だが、加算を続けるとまずどれか一つのチャンネルが飽和する。赤だけが255に達すれば、それ以上は増えず、次に緑や青が上がっていく。このとき現れるのが R+G=Y(イエロー), G+B=C(シアン), B+R=M(マゼンタ) の関係である。つまり、加算とは単に「明るくする」操作ではなく、飽和していない二色の掛け合わせによってそちらの方へと色相が移動する現象といえる。たとえば、オレンジ味の赤に強い光を当てると、相対的に緑成分の割合が増し、黄色寄りへ傾く。こうした傾向を理解しておくと、加算レイヤーを使わなくても、「光を足した後にどうなるか」を想像して色を置けるようになる。また、実際の作業で純粋なRGBを使うことはほとんどない。好みの色相の偏りを決めておくと、明るくしたとき・暗くしたときの変化を事前に予測できる。私は、RはM寄り、GはY寄り、BはC寄りとして扱うことが多い。さらに応用編として、環境光が黄色い場合はRをY寄り、GもY寄り、BはC寄りに設定する。このとき、赤と緑はどちらも明るくなると黄色方向へ滑るので、光が自然に混ざりやすい。一方で、黄色い光環境の補色はインディゴ系でこれを影色に使う。青よりはマゼンタ方向に寄る色が影色ということは、明るくする際にその反対、つまりシアン方向へ転じるということでもある。色相の増減を予測できれば、加算操作を使わなくても、同じ結果を意図的に描き出すことができる。

哲学

# グラデーションを使わない理由

陰影をグラデーションで滑らかに繋げることをせず、段階的な色選択によって構成している。というのも、一つ一つの色の配置に根拠を持ちたいためで、ぼかしをすることで曖昧に誤魔化すことができてしまうのを避けるためである。また、グラデーションがあると相対色に惑わされやすくなるので、その色をスポイトして絶対色を確認したり再現するためでもある。例えば、肩と腕の接合はやや凹みが存在して、二つの球の間に布をかけたような形になっている。この影を書き足すとき「この形に凹んでいるのだ」ということを明確にしてほんの少しだけAOによる影、あるいは光源に対して異なる方向を向いた面としての暗さを追加したりする。版画、浮世絵、アルフォンス・ミュシャが好きなのも遠因だと思う。本音を言うと、白黒はっきりしろ、と思っているからである。

# 顔と手は大事

顔と手は人物画の印象を最も明確に表す部分である。まず人は本能的に顔を探す。シミュラクラ現象が示す通り、人間の視覚は三つの点が並ぶだけで顔を認識する。顔を丁寧に描くことは、視線誘導の起点を作ることであり、作品の重心を決めることでもある。しばしば、黄金比の渦の中心に顔を配置する。最初に視線が向かう場所を決めることで、全体の流れが自ずと決まるような気がする。手も同様に重要で、ポーズが状況と躍動を伝える。さらにいうと、絵描きが絵を見るとまずおそらく手を批判的に見るはず。観察の焦点が定まる場所から意味を込めれば、より多くの情報を伝えることができる。

# 理論は自分の中の納得のためにある

ここまでの理論はあくまでも「自分の中で納得できる正解」を導き出すための指標にすぎない。理屈そのものを信仰する必要はなく、むしろそれを手がかりにして、好きな絵や色づかいを自分なりに説明できるようになることが目的だと考える方が良い。たとえば、好きな作品を観察してみて「どうしてこの色の組み合わせが綺麗に見えるんだろう」と不思議に感じることがある。そのとき、説明できないまま終わらせずに、説明しようとしてみることが大事だ。光の理屈や環境色から新しい法則を推論してみてもいいし、そこまででなくとも「AのときにはBを使う」という経験則として自分の中でまとめてもいい。たとえば、服の影には青系を使っているのに、肌の影にはオレンジ系を使う、そういった絵柄を見たことがある。肌のSSSで説明するにしても、オレンジの影色は黄色寄りすぎる。私もそう感じて参考としては採用しなかったことがある。でも、その作品の傾向からして「活発な少女の印象に肌の影色のオレンジは適切」という推測をした。ちなみに、色彩検定の商品設計で扱う配色理論を思い出すと、その考え方にさらに近づけるかもしれない。このようにまずは言語化すること、そして考えることが、自分の絵で再現するための出発点になる。一般的な理論を学んで、それを自分の経験に照らし合わせて応用し、そこから自分だけの体系を作っていく。それが「再現できる絵柄」になり、新しい試みをするための拡張性になり、やがては個性になる。

理論とは、描く手を縛るものではなく、描く手の確信を支えるための言葉である。
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