【1988年6月】
インタビュー◉山根貞男
———今回の『嵐が丘』の鬼丸という役は、やりにくい、むずかしい役だったでしょうね。つかみがたい人物ですからね。
松田 そうですね、確かに。
———時代劇といっても、江戸時代のチャンバラものとはちがうし。
松田 侍といっても侍じゃないし。
———ひと言でいうと、鬼丸という名前のとおりで、鬼という言い方がいちばんあてはまるんでしょうね。
松田 でも、鬼ったってね、鬼が島の鬼じゃないし(笑)。
基本的には人間をやらなきゃいけないわけでしょう。監督は、どこらへんでぼくをキャスティングして、どこらへんでぼくのなかから鬼を見つけていくのか、ぼくにはわからないです。たぶん、選ばれた時点で鬼みたいなところがあったんでしょうね。ぼくは人間やっていかなきゃいけないから、きちっと。田中裕子さんの絹を愛していく、つたないながらも。それをまたミスしていくという状態のなかから、不安だのジェラシーだのみたいなものが生まれてきて、その精神的なものが鬼になっていくというかね。肉体としてもその部分があったんでしょうけど。
まず人間をやらなきやいけない。そのヘんが、ホンではあんまりストロークがなかったもんですからね。こうなって、こうなって、こうなって、という過程が。断片的にバン、バン、バンて感じだったもんですから、そのストロークをどうするか、最初はちょっと苦労しましたね。
———撮影はセットから入ったから、ラブシーンとか、すごいシーンが最初のほうにあったんですって。
松田 そうです。
———そういう意味でも、やりにくかったでしょうね。だって、あのラブシーンはすごいもんね。
松田 そうですか。映画をまだ見てないですから。
———とっても異様なラブシーンですよ。ある様式にはまっていながら、もちろん人間の根源的な欲望をふたりがぶっつけ合ってるみたいなね。というよりも、よじれてる。
松田 ぼくはわかんないです。まったく監督の世界ですよ。監督の言われたとおりぼくはやっただけ。まいったね、今回は(笑)。
———それは、やりようがなかったということですか。
松田 いや、そういうわけじゃなくて、なんていうんだろう……映画はすごいですよ、やっぱり。上には上がいるということじゃないですか。入ってから一週間ぐらいですかね、もめたんです。
こっちはある愛のね、愛していくまでの歷史とかみたいなものを掘り下げたりすることを、この何年間やってきたもんで、ストロークが足りないものを、なにをきっかけにしてそうなっていくのかという、きっかけがなかなか見えなかったもんで、そのヘんを監督はどう考えているのかなということがあって。そしたら「いや、私にもわからんです」みたいなね(笑)。困ったな、この野郎、なんて思ってた(笑)。
それで、やってるうちにできなくなっちゃって、現場で。あんだけのセットでしょう。照明つくるんでもキャメラアングル決めるんでも、一日がかりで。ほんとにゴミひとつも許さないみたいな現場ですから。しゃかりきになってスタッフがやってるなかで、ぼくがわかんないまま、だだこねても、しようがねえなと思いながらも、たまってくるでしょ、わからない部分が。監督はしゃかりきになってやってるし、撮影を止めちゃ困るなと自分も思ってたんだけど、もう限界にきちゃって。それでは「できません」みたいな話になって。
いまだから言うけど、もし、そんなときに監督がね「四の五の言わないでやれ」なんて言ったら、そのままかつら投げてやめようかと思ってた(笑)。そしたら、その日の撮影を中止にしてくれて。裕子ちゃんとぼくといっしよにセットの奥で話をしてくれて。それで、どうということじゃないんだけど、感覚的に、あるニュアンスに触れたといいますか。その時点で、これはもう監督の言われるとおりにやっていこうと、覚悟ができた。
それからですね、監督のなにか、目に見えないなにか、指示しているものとか、意識しているものとか、それに沿うように、自分がだんだんそういう体になっていこうと、そういう精神になっていこうというふうになっていったのは。だから、映画自体がどうなっているか、ぼくにはぜんぜんわかりません。
———それはセット撮影のときですね。
松田 そうですね。最初のほうです。ラブシーンの始まりのころですよ。
だから、監督がしてほしいものと、誤差はかなりあるんでしょうけどね。ぼくは自分がしたいものはやめました。監督の指示するものに向かっていきたいと。自分の技量の足りなきとか、力のなさがよくわかるし。それをうそついて埋めちゃいけないし。どうやって監督の指示に自分が意識的に入っていけるか。
でも、あんまりしゃベらなくても、監督の立ち居ふるまいで、あ、こうしてほしいんだなとか、少しずつわかるようになってきた。そうなってからですね、現場がだんだんおもしろくなってきたのは。
———じゃ、ロケのときは…….。
松田 え、もうほとんど。
———要するに吉田喜重監督と呼吸が合っていったということなんでしょうが、そねはなんなんでしょうね。
松田 なかなか說明できないですねえ。理屈ないです。映画が好きで、映画に向かってる人にしかわからないというのがあるでしょう。ほかの役者さんでも仕事としてやってる人は、会話が嚙み合わない。そのぶんだけ說明が吉田監督の場合は増えますけど。だけど、以心伝心まではとんでもないですけど、なんかわかりますよ。
———当然ながら優作さんとしては、ホンを読んで、鬼丸という主人公をこういう人物像で演じてみたいという、自分なりのイメージはあるわけでしょう。
松田 最初はありました。
———それがその段階で自分のイメージはやめちゃった。
松田 ええ。やめちゃったというか、できませんよ、吉田さんの世界では。自分勝手な、小僧が考えるような男と女の愛なんてね。
———逆にそのとき、吉田喜重の世界が優作さんにわかってきたということですね。
松田 わからしてもらったというか、教えてもらった。ほんと、大人にさしてもらった。
———大人?
松田 ええ。次の段階に入ったんじゃないかという気がします。
———松田優作という俳優がね。
松田 それにしても力が足りないですね、うーん……。
———映画を見た限り、印象で言うと、松田優作と田中裕子のふたりは、ほかにはちょっと考えられないですね。
松田 監督がそういうふうにしたんですよ。選んだ時点で決まってたんでしょうね、そういうふうになることが、どっかでね。
———吉田喜重監督に「リュミエール」という雑誌で長いインタビューをしたんですが、おふたりのことを「狂気を演じられる俳優である」と。それで優作さんについては「いま日本の俳優で異人を演じられるのは、松田優作以外は考えられない」と言ってましたね。
松田 すごくうれしいですね。
———「狂気を演じられる俳優」というのはそのとおりなんだけど、やる本人は大変だろうと思う。
松田 别に普通にしてたって、たぶん、そのほうが怖いだろうけど、やっぱりぼくらが狂人を演じるときに最初にくるのは、一瞬、インパクトがあるときに、見せるときの顔とかに、どうしても目むき出して、歯むき出してね。あいつよりおれのほうがもっとむき出せるとかみたいなもんで。それじゃダメなんですよね。なにか空気を異化していくもの。自分もそうなりたいと思いながらも、結局、使い道がわからないし、方法論がないもんだから、ついどっかで目むき出しちまったりすることが多かった。狂気は、普通にやってても、自然にやってても、ゆっくりうしろからくるもんですから。
ほんとの意味で異化していく。まさしく異人なんでしょう。そういうものをはたして自分の演技として見せていけるのかどうか、まったくわからないです。もし、それが出たとするならば、ほんとに監督のおかげですよ。ぼくはいまだにわからないから、そのことに関しては。並みの映画だったらね。普通におれ立ってるだけで相当異化してるだろうけど、それはそういう意味の異化じゃない。ただ空気を濁しているだけかもしれないし。
吉田監督の映画自体が異化してるでしょう。そのなかで自分が異人としていられたら、吉田喜重の世界では普通の人間をやったってことですよね。そうなれてれば、監督の映画を邪魔してなければ、いいなと思ってました。だから、いまだに見るのが怖いんですよ。おれは邪魔してんじゃないかなと。監督にそう言われるとうれしいです、非常に。
———吉田監督はインタビューで、できあがる映画がスタッフ全員にとってよそよそしいものであるように、え?と驚くように、つくりたかったと話してました。映画自体が異化作用を持つということですよね。
松田 いや、すごい。
———そういうのは監督の考えとしてはわかるけれども、実際にどうやって……現場でそんなこと口にしたって、しようがないわけでしょう。
松田 そうです。やる場はそれを「ちがうね、あの人は」ということを感じていけるだけのアンテナを持ってるか、感受性を持ってるか、感覚を持っているかで決まってくるんじゃないですか。ぼくは一週間ぐらいで全部やめましたから、自分のわがままを。そしたら監督の感じるものとか、感じられるようになってきた。口で說明できないですけどね、どこがどうだっていうの。
———『嵐が丘』は結局どれくらい時間がかかったんですか。
松田 話がきたのが一昨年の暮ですから。で、昨年の一月ぐらいに引き受けて……一年ですね。クランクアップが一一月末ですからね。
———去年、優作さんは、ほかに映画出てませんよね。
松田 『嵐が丘』しかやってないです。
———厚生年金ホールでコンサートをやったのはいつでしたっけ。
松田 去年の五月ぐらいですか。
———『嵐が丘』に入るにあたって、能の勉強をされたと聞きましたが、それはいつですか。
松田 コンサートが終わってからだから、六月ぐらいですかね。七月がクランクインで。監督は最初、観世栄夫さんでいきたいと言ってたんですけど、スタッフも含めて若い人でいきたいというのを耳にしてたもんだから、ぼく自身が清水寬二さんに前から目つけてたというか、好きだったもんで。確か三三、四歲。で、清水さんてどうでしょうかって聞いたら、監督が実際にお会いになってくれて、おもしろいと。で、彼になったんです。
———それはこの映画の場合、映画の雰囲気からしても、能を勉強しておいたほうがいいということだったんですかね。
松田 所作もあったんです、実際の。基本的に歩き方とか。そういう時代のことだし、ぼくはそういうのやったことないですからね、ちょっとした所作ぐらいはちゃんとやっとかなきゃいけないなというんで、やり始めて、それが高じて神事まできっちりやらなきゃいけない、と。能そのものよりも、能のあるニュアンスみたいなものを使ってなにか……。
———能の型を学んで、それをやったということではないでしょうね。
松田 ええ、やってないです。
たとえば、座ってる状態で手をあげるとこれだけで風が出ますね。空間に空気を入れたりとか、少しそよがすとか、そういうのを異常に集中して感じられるのが能だと思うんです。あの時代は空間としての高さがすごいんですよね。ほとんど平地だから。建物も小さいし、横に並べた感じでしょ。そこに立ち上がったりするときに、空間の高さをどこで感じるかというと、建物じゃないですね。もっと、もっと先の宇宙とか、そういうものから引っ張られているような意識というかね。そういうものを非常に能から感じるんです。
だから、今回の映画は、最初は意味なく能でやってみたいなと思ったんだけど、やってみて、そういうものを少し感じられるようになったから、非常におもしろかったです。
———そのことを吉田監督も言ってましたよ。全編どのシーンにも軽くスモークをたいたという話を聞いたんです。それは、なにも空気を汚してるんじゃなくて、空気を動かしたいんだ、と。
松田 現場でその話、ぼく、聞いたわけじゃないですけど、話としては合うでしょう。
———合いますね。確かに映画は空間のものだから、それは大事なことですね。空気が動いているのは、別に目に見えるわけじゃないんですけとね。
松田 あの時代を選んだのも、監督の勘どころというか、呼ぶものがあったんでしょうね。蠟燭一本の明かりだって、說明するもんね。集中するし、風が吹くと微妙に反応してくるし、すごいですね。
———だから、たとえば、鬼丸が板の間に座って盃で酒を飲んでるシーンがありますけど、ああいう大きな芝居ではないシーンなんかだと、かえって逆にむずかしいんでしょうね。
松田 最初、そういうことを注意して、まだ入ってないから大変ですよ。だけど、ある程度入っちゃうと、その時代に生きてるという気になってくる。それが演ずるということなんでしょうけど、そうなってきたら、ごく普通にできるようになったというかね。
———その時代に入っちゃう。
松田 そうしないとキャメラはまわせませんもんね、いつまでもそのディテールにこだわってやってると。
———手をあげてこう動けばさまになるだろうなんて、理性的判断ではダメでしょうね。
松田 ダメですね。最初のうちだけですよ。訓練で補えるものじゃないんですよね。
———優作さんにとって吉田喜重って監督はどんなイメージでした?
松田 ぼくは好きだったんです。『エロス+虐殺』。それが『告白的女優論』ですか、あれ見て、ちょっとがっかりして。もうダメになったのかなとか、勝手に思ったりしてさ。生意気に(笑)。
それでメキシコのほうに行ってらっしゃって、原田芳雄に仕事の話がきたって。吉田監督と原田芳雄、それはおもしろい。じゃ、ツアー組んでメキシコに行くべえ、なんて言ってたんですよ、一一年前に。それがパーになっちゃって、それからもう吉田監督はぷっつり、おれの記憶になくなった。
それが突然、降ってわいたようにね。なんなんだろうかなと、最初はね。
———吉田喜重という監督からの話は、意表をつくものだったんですね。
松田 いや、いないですからね、監督さんが。いるんですけど、若い監督がたくさん出てきて、それもちょっとめんどくせえなみたいなとこあって。勉強しなきゃいけねえなあというときだったもんですから、吉田監督ってきたときには、妙なひらめきがあった、新しいものがなにかあるんじゃないかって。まず吉田監督ということで興味があって、まして『嵐が丘』でしょ。 はっきり言って、いままでの何本かの『嵐が丘』は、ぜんぜんおもしろくないし、じゃあ、ここで一発、それはいい発想だなと思って。吉田さんで『嵐が丘』日本で、というね。漠然とした興味でしたけどね、そのときは。
———時代劇にするということは?
松田 そのときはまだ聞いていない。
———じや、現代劇だと。
松田 ぼくはそっちじゃないかと思ってた。で、ホン読んだら、やんなって(笑)。「なんだよ、時代劇かよ」みたいな。恋の道行きはないし、鬼だしね。怪奇映画か(笑)。
いま考えたら、腰が引けてたんでしょうね。自分のなかで尻込みしたんじゃないかなと思う、いまになって考えたら。
———話を聞いてみると、途中でやめてやろうとか思ったとか、腰が引けてみたりとか、いろいろあるもんなんですね。それを吉田喜重が引っ張っていった。
松田 そうですね。ほんとね。強い人ですよ。非常に優れた頭を持ってますね。ほんとに映画監督ですね。
この前テレビで『秋津温泉』やりましたね。前に見たときは、かったるくて、つまんねえなと思ったんだけど、いや、すごかったなあ。
———すばらしいですよ。ぼくは『秋津温泉』と『嵐を呼ぶ十八人』の二本が大好きなんですよ、初期の映画では。
松田 岡田(茉莉子)さんはすごかったですけどね、主演の男の人がね……ぜんぜんわかってないね。
———そう、唯一の欠陥(笑)。
松田 あの世界に入れない人だ、あの人は。自分もね、それを見ながら『嵐が丘』を邪魔してんじゃないかなと思ったね。不安で。だから、見るのが怖いんだよ。
———本読みの段階で、吉田監督がこの作品をめぐってレクチャーしたんですって、みんなを集めて。
松田 聞いてなかった(笑)。
———吉田喜重という人は、会って話をすると、とってももの静かで、思索家というか大学教授みたいでしょ。現場ではどうなのかと思って……。
松田 いやあ、現場はすごいですよ、怒鳴りますよ。やっぱり映画監督ですよ。
———さっき優作さんが脚本について、こうなってこうなってという過程が描いてないとおっしやいましたね。ストロークがない、と。でも、映画になったのを見ると、編集段階でさらに刈り込んであるんですね。これはすごいなあと思った。ホンにはまだしも、もっと経過的な描写があるんですよ。
松田 あれでも少なかったですけどね、たったあれだけじゃね。だけど、あの世界に入っちゃうと、說明はいらないです。たったあれぐらいじゃダメです。必要ないです。
———でも、やっぱり演じるのはむずかしいでしょうね。鬼丸が絹に対して、墓まであばいて骸骨を掘り出してまで執着していくという、狂気の愛みたいなものは、流れとしてはあるわけですね。それを演じるとなると、そういう流れを自分のなかでつくらないと……。
松田 もちろん流れはつくります。でも実際そんなことやったことないし(笑)、おふくろの遺体にキスしたことはありますけど。骨をなめたり、愛撫したりとかやったことないですから、引き出しもなにもないんですよ。そんなところに說明を加えて、こういうときは骨はこうやって愛するとかって、できるわけないです。
だから、そこにあるものとして、自分がそれを見ているものとして、さわるものとして、もう五官とか、そのことだけしかないです、触覚とか。常識であるか、ないかは超えてますから、やっちゃうわけですね。
———普通、ある主人公を演じようというとき、たとえば、こいつはどういう育ちをしてきたとか、あるイメージを考えたうえで……。
松田 考えますよね、いつも、ぼくは。今回も考えましたよ、一応。考えましたけど……言ってみりゃ、明日どうなるかわからない、人間はだれでも。昔の歷史なんか別に関係ないから。とにかくいま、每日、明日ということしか考えてない。うしろはなにもいらないという、ジャストサイズの生き方というのかな。いまやって明日やっていくというその毎日で、自分はわからないけど、人はそれを見て歴史を感じてくれればいいわけで。だから、每日ジャストサイズを生きていく。きょう感じるものしかやっていけない。そういう演じ方しかないなと。
役もそうでしたけど、現場も每日每日そういう感じでやっていきました。もちろん、役の上で年齡の取り方はありますから、ベーシックな、骨格的なことはやらなきゃ。それはちゃんと流れがありますから。だけど、きょう、鬼丸がどう感じて、どう生きていくかというのは、そのときになってみないとわからない。そのことに自分が順応していくようになったとき、すでに鬼丸だったんでしょうね、たぶん。
もちろん所作としての計算はしなけりゃいけないんですけど、キャメラのフレームに入らなきゃいけないんですから。だけど、感覚としての計算はいつさいできませんもんね。
だから、強くないとね。ある一定した緊張の持続というか。鬼丸のあるレベルを、監督の要求するレベルをずっと続けていかなきゃならない、精神的にも。そのことだけですよ。ちょっとしたことで感情が崩れたり、生理的にいやなものを見て、撮影以外のところで気分が悪くなったりしないように気をつけなきやならない。半年間ね。
———ごくあたりまえの日常的ないまの空間にフッともどってしまっては、ぜんぜん話にならないということがありますね。
松田 そういうことは虚構じゃなくて、実際にぼく自身がいままでこの世界でやってきた。まちがってなかったな、と。映画に入ってる状態のなかで、カミさんがいてもこどもがい ても、生活まわりをいっさい捨ててきた時間が、だから、そのまま使えたんだね、その状態は。
———優作さんがいままで演じてきた多くの人物がだいたい、過去があって未来があってとか、あまりそういうのないですよね。
松田 そうですね、考えてみたら。
———瞬間そのものとしてそこにいる、存在している、生きているという、そういう感じですよね。
松田 でもね、やってきた方法論を使おうとするんですよ、どうしてもね。それじゃ、ダメですね。方法論を使うことをやめると、教えてもらうことが多いですよ。
———だけど、普通には、ある種の方法論を持つことが、その俳優の個性とかなんかに思われるじゃないですか。
松田 思われますね。
———方法論が突っ立ってるような役者が多いですよ(笑)。
松田 ええ。ほとんどですね。
———それだと、どの映画を見ても同じになっちゃう。
松田 だんだん仕事になってるんでしょう、お仕事にね。
———優作さんは一本一本なにかやってくれるから、ぼくらはスリルを持って見てるんだけども、仕事がなくなりませんか。
松田 昔から、ないですからね、だいたい(笑)。
———田中裕子との共演は初めてでしょう。どうでした?
松田 いや、すごいですよ。なんつうんだろう……キワキワでしたね。ほんとに日常と非日常のキワキワんところにいまいるっていう。だから、ちょっとさわるとプッと手、離す。じゃ、ほっとくと、さわってほしいって手がくる。ちょっと離すとまた追ってくる。さわろうとするとまたプッ……。結局、さわれないまま終わったという感じですね。
逆にそのキワキワがよかったんじゃないですかね。ぼくはいまひとつそれが食い足りなかったんですけど、監督は、それでちゃんと撮り上がってますから、役者同士の個人的な感じなんか関係ないんですから。
———おふたりの共演と聞いたときには、けんかするんじゃないかと思いましたけと(笑)。
松田 ぜんぜんないです。ウマは合うんです。
———反発し合うという感じは?
松田 まったくないです。
———それに三國連太郎と、今回は大変な役者がそろってる。そうそう、そのうちふたりは、監督経験者で(笑)。
松田 やめてくれ(笑)。
———それを引っ張っていったのは、やはり吉田喜重の世界を持ってるから強いんですね。
松田 ほんとうにすごいですね。ほんとの映画作家ですね。
———でも冗談じゃなしに、優作さんだって一本、映画監督やったわけだから。
松田 あんなものは……。
———あんなものであろうとなかろうと、ぼくなんかはちゃんと映画監督として……。
松田 かんベんしてくださいよう(笑)。
———そういうのはなにか影響してきませんかね。映画監督やってから初めての映画でしよ。
松田 だって、ぼくは映画監督じゃないですよ。
———もちろんそうだけど、監督をやっちゃったということで、なにか変わったということはないですか。
松田 逆に、監督というもののすごさを知ったというか、役者はほんとに役者であって、というそのことがほんとの意味で確認できたというのはありますね。
———吉田喜重という監督のすごさがなにか感じられたとしたら、そのなかにはやっぱり、自分が監督をしたというのも……。
松田 あるでしょうね。
———監督やってないのと、やったのとではちがうという……。
松田 でしょうね。まだそれは整理ついてないんですけど、たぶん、それもあったんじゃないですか。おれ自身が監督やったからって意識まったくないですからね、自分に。道楽みたいなもんですから。
———吉田喜重は、こんなことも言ってましたね。俳優には「見せる」芝居をする人と「見られる」芝居に徹する人と二タイプあって、松田優作と田中裕子のおふたりは徹底的に「見られる」視線を感じて演じる俳優だと。
松田 うれしいですね。まったくそうですね。
———「見せる」タイプは古典的な映画スターがそうなんですけど、優作さんの場合も、たとえば『最も危険な遊戯』は見せる芝居で……。
松田 そうですね、サービスですから。
———どっちが上等ということはなくて、質がちがうんですね。
松田 なんつうんだろうな……歌舞伎でいえば、市川猿之助さんの世界と旧来の歌舞伎の世界とのちがいでしょうね。
———そうそう、演劇といえば、いま、演劇の演出をなすってるんですってね。これも道楽みたいなもんですか。
松田 そうですよ。大散財でね。金がかかってしようがないですよ(笑)。
———優作さんがプロデュースも?
松田 もちろん。
———それは大変だ。道楽なんてもんじゃないですね。そういうのはなんですか。
松田 勉強ですよ。ぼくら勉強する場所がないでしょう。できれば、一年中映画にかかわることをやっていたいんだけど、役者やれるのは、気入れて集中できるのは、映画一本やってせいぜい二カ月でしょう、一年で。それ以外はどうしたらいいのかったら、本読んだり、映画見たりとかいうんじゃね……なにかやってないと。むこうのぼくらと同じ年代ぐらいの俳優はやってますもんね、いろんなこと、一年中ね。ロバート・デ・ニーロも自分の劇団を持って芝居やってるし、演出もしてね。ウィレム・デフォーも自分の劇団をカミさんとふたりでやってるし。
———音楽をなさるのもそういうことですか。
松田 そうです。音楽やってると、どんだけ耳が大事か、よくわかったしね。クラシックなものとコンテンポラリーなものの共通点とかを見つけ出す時間をたくさんもらえるし。いまもサックスやってますしね。
———自分で吹く?聴きたいな。
松田 まだまだ。
———ことしの年末ぐらいは?
松田 一曲ぐらいはいきたいなと思ってるんですけどね。
———映画はこれから深作欣二監督の『華の乱』ですね。
松田 ぼくの役は有島武郎です。与謝野晶子との恋の道行きみたいなものになって、結局ダメで、彼女はもどっていく。で、婦人記者の波多野秋子と心中する。
———深作監督とは……。
松田 二回ほど話があって流れたんです。『蒲田行進曲』『海燕ジョーの奇跡』。
———『華の乱』を引き受けられたのはなんなんですか。題材、監督?
松田 もちろんまず監督ですよ。大人の監督さんといっしょにやらしてもらって勉強しないと、ねえ、もう生きていけませんから、自分の勝手なわがままな世界じゃ。だから、一も二もなく。岡田裕介プロデューサーから直接、話があったんです。むこうはもしかしたらやらないんじゃないかなんて来たんだけど、即決で。ホンもなにも見てないんです。ホンが筒井ともみだし、女優さんが小百合ちゃんだし、松坂慶子でしょ、断ったらバカですよ(笑)。
———一年半ぐらい前『ア・ホーマンス』のあとのインタビューのときも、しきりに優作さんは勉強しないといけないと。ずっとそう言ってるじゃないですか。
松田 そうですよ。死ぬまでじゃないですか。
———自分はまだ小僧っ子であるというか、いつもそういう言い方を自分でされるでしょう。
松田 ええ。今回『嵐が丘』をやって、よりそれを認識しましたね、確実に。勉強する目的がはっきりわかりましたんでね、今回で。
———目的ってのはどういう?
松田 それはちょっと言えないです。盗まれたら困るから(笑)。
———歌をやるのも、そういう目的への一過程なんでしょうね。
松田 「花伝書」でも、役者という商売は絕対に浮気しちゃいけない、副業を持っちゃいけない、だけど、謡と踊りは別だと、ちゃんと書いてますもんね。その部分ですよ。それは理屈じゃない。感覚の部分を研ぎすましていく、音の部分はね。ちゃんと書いてるもんな。すごいよやっぱりね、あの人たちは。
キネマ旬報○1988年6月上旬号