ここのところ、小津安二郎のことを調ベようとして、志賀直哉の全集を読み直していた。読み直しているといったところで、初めて読む作品も多いが、つくづく感じさせられたのは、人間が老いてゆく、年を重ねていく意味についてだった。
こと自分に引き寄せてみて、映画の好みでいえば、若い時には黒澤明だったのが、溝口健二に、やがて以前にはほとんど関心がなかった小津安二郎へと広がっていったこととも重なってくる。
若い時から好みが激しく、癇癩持ちだった志賀直哉の性格は終生変わらなかったけれども、作風は確実に変容、成熟していた。「小說の神樣」と呼ばれながらも、物語を作り、紡ぎ出す「作為」が次第になくなり、小說かエッセイか判然としないものになっていった。
小津にしても、戦後の『晚春』以降、例外を除いて同じような設定で、物語とはいえない作品を作り続けていた。小津自身元々「作為」を嫌っていたものの、ある意味で小津は物語性のないことに対する批判のよりどころを志賀直哉に求めていたように思える。
松田優作についての本でありながら、なぜ志賀直哉から書き始めたのかといえば、彼の演技について思い巡らせていたからだった。アクション・スターとして出発しながら、その演技に疑問を持ち続けてきた松田優作が向田邦子作品や森田芳光と出会い、極めて短期間の中で、演技の本質に関わる「作為」を捨てようとしてきたことと、どこか重なるところがあるのではないか。
小說家が物語を作ることが「作為」ならば、映画監督が映画を作ることも何らかの「作為」であり、他人の人生を生きる演技もまた何らかの「作為」であることはいうまでもない。
それでいて、俳優にとってその「作為」を捨てることとは、他人を演じるのではなく、自分に重ね合わせることだと言うことだけはたやすい。しかも古今東西、チャールズ・ロートン、ローレンス・オリビエ他、名優と呼ばれた俳優はすべからくそうした資質を持っていたし、天才的な俳優、勝新太郎の例で言えば「俺が喋ることが座頭市の喋ることだ」ということにもなる。
ただし松田優作は、そうした天才的な俳優ではなかったし、第一志向が違っていた。彼は「作為」を捨てることを意図的に行おうとしたけれども、それが表面的な訓練などで出来るものではないことを本能的に知っていたのだろう。彼の演技に対する、ひいては生きることに対する過度なまでの禁欲さは、その表れだったのだろう。
志賀直哉がじっくり時間を掛けて時熟することによって、あるいは小津安二郎が戦争という極限状況を経ることによって獲得したものを、結果的に松田優作という俳優は、生き急ぐことによって獲得しようとしたのではなかったのか。
ただし「獲得した」というには、彼には余りに時間と経験が少なすぎた。確かに彼の『家族ゲーム』も『ブラック・レイン』の演技も素晴らしかった。ただ、それが松田優作の最高の演技だとは思ってもいなかったし、第一、本人自身がそうだっただろう。
僕らは、次の松田優作主演作品をいくらでも待っていたし、その可能性は興行も含めた上でのメジャー映画での成功で、どれほど広がっていたことか。さらに彼が五〇歲に、六〇歳になった時、どんな姿を見せてくれただろう。
その楽しみを僕らは永久に奪い去られた。しかし、それは本来長い人生をかけなければ得られないものを、まるでイカルスのように生き急いで求めようとしたものに対する神の罰であると同時に、恩寵のようにも思える。
ある意味で、他人を演じ続けた松田優作の映画出演作品とは違って、本人の語ったこととは、自分自身では言葉を持つことが出来ない俳優の影でもある。だが、その影の変遷こそが、松田優作の生き急ぎの記錄であったと、今にして言える。
二〇〇一年七月 山口 猛